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エンハーツ(第一三共)の快進撃!:Antibody Drug Conjugate(ADC)

エンハーツとは、第一三共が開発した抗体ドラッグ複合体医薬Antibody Drug Conjygate/ADC)です。
英語名はENHERTS、開発コードのDS-8201で呼ばれることもあります。
今、がん治療薬の世界で注目を浴びている薬の筆頭とも言えるでしょう。

 

その臨床開発のスピードの早さが、エンハーツがいかに画期的な薬であったかを物語っています。
アメリFDAがエンハーツを承認したのは、昨年、2019年12月20日ですが、なんと、申請を受理してから2か月という異例の速さで承認に至っています。
もともと半年かかる予定だったのを、大幅に前倒しての迅速な承認プロセスでした。
また、この承認申請は、臨床試験の第2相のデータに基づいて行われています。

 

本来、第2相は、小規模の人数の患者さん(がんの場合、通常、数10人程度)において、薬効の兆しがあるかどうか、どのくらいの量を投与するとそれが見られそうか、ということを調べる、いわば、予備的な試験という位置づけです。
その結果を踏まえて、より多くの患者さん(がんの場合、通常、数100人程度)で、本当に求める薬効が見られるかどうかを、最終的に判断します。
第2相のデータで承認されたということは、第3相の試験をやらなくても、たぶん効くことは間違いない、と規制当局に認められたということです。
第3相試験をやるよりも、早く一般の患者さんに使えるようにした方が、患者さんのメリットになると判断されたということになります。

これは、薬の開発をするものにとって、最大級の賞賛であるともいえます。
ただし、この見立てが本当にあっているかをしっかりと検証することは重要なので、今後、一般の臨床で使われる中で、本当に効いていたか、安全性は問題なかったかということを、後々報告するということがその承認の条件にはなっています。

 

エンハーツを使うことが認められたのは、「2つ以上の抗HER2療法を受けたHER2陽性の手術不能または転移性乳がん」です。
これはどういうことかというと、まず、がんの種類としては、乳がんということになります。
それも転移性の乳がんであり、手術ができないものに限るということです。
まだ転移していない早期のがんで、がん組織が原発巣という、もともとがんが発生した一つの部位に限局している場合は、手術でそれを取ってしまうことがもっとも有効なので、この薬は使いません。
そういう早期のがんは、完全に治る可能性も高いですし、危険性は少ないと言えます。
問題なのは、体のあちこちに転移してしまって、手術では全部をとることができない(手術の体へのダメージが大きすぎるから)がんの場合です。
そういうケースでは、抗がん剤による治療が中心となります。
抗がん剤による治療においては、最初にどの薬を使うのか、どういう順番で薬を使っていくのか、ということが、ガイドラインとして決まっています。
それぞれのがんを専門に治療・研究する学会がそのガイドラインを決めます。
最初はある薬を投与して効きを見て、それで治療できる限りはその薬を使い続けます。
しかし、ときには、その薬では効かない、あるいは最初は効いていたけれども、そのうちに効かなくなってくるということがあります。
その場合は、2番手の薬としてこの薬を使うように、ということが定められています。
その2番手の薬は、1番手の薬が効かない患者において効果を示す、ということが臨床試験んで確かめられており、だからその薬を使うように、という指示になるわけです。

 

エンハーツの場合は、2つ以上の抗がん剤を使っても効かなかった・効かないようになってしまった患者に使うように、という承認になります。
通常、このようながんに対しては、もう打つ手がない、という状況になってしまいます。
手術もできない、2つの抗がん剤も効かない、という状態なわけです。
そのような患者に対して、エンハーツは効くであろうということです。
まさに希望の薬です。

 

では、臨床試験ではどのような結果だったのでしょう?

承認データのもととなった第2相の臨床試験では、184人の患者さんに対しての効果が調べられました。
その結果、そのうちの112人(60.9%)でがんの大きさが30%以上小さくなるという反応がみられ、さらにそのうちの11人では、なんと、完全にがんが消滅するという作用が見られました。
これらの患者さんは、エンハーツの治療を受けるまでに、平均して6種類もの治療を受けています。

それらの治療がまったく効かなかった患者さんに対して、この作用が見られたということですから、エンハーツの薬効がいかにすごいかがわかります。

 

一方、毒性に関しては、全体の13.6%に間質性肺疾患(ILD)と呼ばれる副作用が見られたものの、10.9%はほとんど症状が無いか軽い症状だったということです。
あるシンポジウムでこの結果について発表を行ったDana-Farberがん研究所のIan Krop医師は、「この治療の可能性に興奮している」と語ったそうです。

 

日本でも、同じデータをもとにして承認がなされ、2020年3月に優先審査によって承認されています。


エンハーツがこのような画期的な薬効を出したのは、先の記事に書いたようなADCの技術的な改善が実を結んだからと言えるでしょう。
具体的には、リンカー部分の安定性の改善であり、またドラッグがより選択的にがんを殺すものになっていることも大きいと思います。
エンハーツのドラッグ部分は、もともと第一三共の前身の第一製薬において、ADCではない、普通の抗がん剤として開発が進められていたものを改良して使われています。
もとの薬の開発は途中で頓挫してしまいましたが、ADCとして生まれ変わり、抗体によってよりがんの選択性を増すことで、その威力が発揮できるようになったものと考えられます。

 

また、より強くがん細胞を殺すために、エンハーツの場合は、一つの抗体に8個のドラッグが付いています。

この点はエンハーツの特徴です。

他社が開発するADCはだいたいが3つ程度であるのに比べて、一つの抗体でより多くのドラッグをがん細胞に運ぶことができ、より確実にがん細胞を殺すことができると考えられます。
これは第一三共の独自の技術で、これまでのADCの限界を打ち破る一つの技術革新であると思います。

 

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左:通常のADC、実際にはドラッグは一つの抗体当たり3~5個ついていることが多い

右:エンハーツ、一つの抗体につき8個のドラッグがついている


このように高度に改善されたADCを、日本の製薬企業が作り上げ、世界中の患者さんの希望の薬として開発したということは、本当に素晴らしいことです。

エンハーツは、現在、乳がん以外にも、胃がん、大腸がん、非小細胞肺がんに対しても臨床試験が行われており、その結果が注目されます。